Hirataのあゆみ

1946年〜1979年

1946年(昭和21年)

終戦後、運搬車メーカーとしてスタート

戦後、食料事情が最も厳しい時期に、平田耕也(前代表取締役会長)は家族10人で韓国から引き揚げてきました。耕也の父、恒一は韓国で精米工場や陶器製造工場、さらには船舶輸送と数多くの企業の経営により豊富な経験と知識を持っていました。 恒一と耕也父子にはチャンスと材料があればいつでも「ものづくり」にチャレンジする気持ちは十分にありました。この頃、市内のあちこちに陸運用の軽渡橋が放置されており、貴重な鉄材の利用方法はいくらでもあると考えた父子は、所有者と交渉して全て譲ってもらいました。そして昭和21年7月、現在の熊本市に木製車輪をはじめとした一般産業車輌の製作販売を行う「平田車輌工業」を創業しました。

第1号車の誕生

譲り受けた鉄材を適当な長さに切り、押し手と車輪をつけて最初につくった製品が、手押し車です。その応用品として花模様の木箱をのせた乳母車の代用車をつくったところ、大変な売れ行きで市外からの注文も殺到し、製作に追われることとなりました。この手押し車をきっかけに、リヤカーの製作・販売に取り組みました。

1951年(昭和26年)

裸一貫から5年で法人に、株式会社創立

創業から5年が経ち、主力製品のリヤカーや手押し車といった運搬車の製作体制も整って、次第に受注量も増え、製作機種も多くなりました。そこで会社は平田車輌工業株式会社として新たなスタートをきりました。また、その後製作した鋼板製のトレーラー(耕運機やトラクターの後部に連結して牽引する運搬車)は昭和30年代に月産台数800台にまで達しました。

1953年(昭和28年)

運搬合理化の本質を追求、コンベヤの製作開始

当時の平田車輌工業の月商は300〜400万円程度でしたその頃の日本の運搬車業界のトップメーカーでも月商は1000〜1500万円程度で、平田車輌工業のピーク時の3倍程度にすぎません。この事実を知った耕也は「会社として一生を賭ける仕事にしてはあまりにも市場が狭い」と愕然とし、将来を思い悩みました。その時、耕也は勉強していたアメリカの雑誌の中にコンベヤの記事が載っていたのを思い出し、「軽い、使い易い、能率の良い運搬車をつくるのが願いであって、コンベヤは運搬合理化の本質を追求することなのだ」と早速コンベヤの製作を開始しました。苦労の末、試作1号機が完成したのは昭和34年でした。

1966年(昭和41年)

国際企業への礎となった、アメリカ視察

昭和41年、専務に就任した平田耕也(前会長)は、日本経営者団体連盟主催のアメリカ視察団の団員として渡米。 アメリカの徹底した合理性、視察した工場のオートメーション化された機械と生産ライン、標準化されたコンベヤを目の当たりにし、それまでの物の考え方や発想の違いを改めて痛感しました。また輝いていた時代のアメリカを訪れたことで期待以上の収穫を得ることができ、この視察は平田機工が国際舞台へ出る第一歩となりました。

1970年
代前半

フリーフローコンベヤの開発 フリーダムシステムのはじまり

従来の生産ラインというのは、流れてくる製品を次から次に作業者が処理していく、機械中心のラインであるため、作業者にストレスを与え、不良品を発生させていました。一方で平田車輌の新生産方式は、足元のペダルや手元のスイッチでラインを止めたり流したりと、作業者が自由に操作できる特徴をもち、これによって作業者のストレスは緩和され、不良品が激減し、生産効率の向上に繋がりました。この自由で人間の能力を活かす方式は今日でも平田機工の思想を代表するものとして受け継がれています。

1974年(昭和49年)

平田機工株式会社の誕生

家電業界などに向けた自動組立機などにより事業が拡大する中、主にポータブルコンベヤを手がけていた大平コンベヤー、家電関係のコンベヤを担当していた平田車輌工業、平田機工商事の関連3社が合併し、平田機工株式会社が誕生しました。

1977年(昭和52年)

直交座標型「MACHINE-BASE(マシーンベース)」を開発

自動化の究極はロボットに行きつくという考えのもと、電子技術の習得を始めました。そして非常に簡易なデジタル表示で制御装置をつくり、さらに軸や回転に改良を重ねながら、昭和52年直交座標型ロボットNC(数値制御)制御XYテーブル「MACHINE-BASE(マシーンベース)」を開発しました。

1977年(昭和52年)

平田恒一が取締役会長、平田耕也が社長に就任

8月1日、平田機工の礎を築いた創業者である平田恒一は会長へと就任いたしました。新社長には平田耕也が就任し、ロボット技術の開発に力をいれながら、海外での受注にも対応できるよう平田機工のグローバル化への取り組みを始めました。

1980年〜1999年

1980年(昭和55年)

アメリカに初の海外拠点設立

このころから国内だけでなく、海外大手家電メーカーにも組立ラインを納入するようになり、さらなる販路開拓のため米インディアナポリスにHirataCorporation of America(HCA)を設立しました。新会社HCAの誕生によってアメリカ、カナダにメキシコを加えた北米エリアで営業を展開することになりました。

"腕代わり"のスカラ型ロボット「ARM-BASE(アームベース)」を世界に先駆けて販売

昭和55年、人間の腕代りとなるロボット「ARM-BASE(アームベース、スカラ型ロボット)」の開発に成功し、昭和56年、世界に先駆けて販売を開始しました。各大手企業がスカラ型ロボット開発を進めていたこの時期、同年開催の国際産業ロボット展示会に展示されたロボットは3のものが多く、4軸のARM-BASE(アームベース)の存在は注目を集めました。

1981年(昭和56年)

国際化を見据え、本社を東京、本部を熊本に

このころには売上の30%を輸出が占めるようになり、さらなる情報収集や国際化への対応と、熊本以外の国内工場の管理のため本社を東京へ移転し、総務部、経理部、東京営業部を設置しました。 本社東京移転後も、ほとんどの管理機能をもった部署は熊本に残していたため、旧本社を熊本本部としました。

1987年(昭和62年)

ブラウン管生産ラインに挑戦

テレビの大型化やOA機器の普及により、当社もCRT(ブラウン管)生産ラインを受注するようになりました。 しかし、従来の弱電組立ラインに比べると大型で、ラインに組み込む自動機も重自動機となり、研究や開発を重ねることが多く、当初は記録的な赤字を出したものでした。 しかし、この失敗がソフトウェア技術の導入や生産システム製造の本格化へつながりました。その後、ロボット技術を生かしたCRT生産ラインは1990年代まで当社の主力製品となりました。

1991年(平成3年)〜

海外拠点の拡充、グローバル企業を目指して

海外のお客さまへも迅速に対応するため、北米、ヨーロッパ、東南アジア、中国の各エリアに関係会社を設置し、海外でも円滑なメンテナンスサポートをおこない、さらなる販路拡大に努めました。

1994年(平成6年)

FPD市場へ参入

当社は、平成6年頃からCRT(ブラウン管)テレビ市場の縮小を予測し、FPD(フラットパネルディスプレイ)市場に参入しました。 省液・省エネを考えて、液晶ディスプレイに使われるガラス基板を回転させずに感光剤(レジスト)を塗布する装置、ヘッドコーターを開発し、平成13年には、第5世代(1200×1100mm)のヘッドコーターを発表しました。また基板の大型化に対応するために、基板搬送用ロボットも大型化を図りました。平成19年に開発した第10世代ガラス基板搬送ロボットは、一辺が3,000mm以上で厚さ1mm以下の大型液晶ガラス基板を製造装置間で高速に、安全に運ぶことができます。

2000年〜

2001年(平成13年)

自動車関連設備、エンジン組立ラインの大型受注

当社は、昭和60年代から自動車関連設備を手がけていましたが、平成13年に北米自動車メーカー向けエンジン組立ラインの大口案件を売り上げ、その高い性能と品質が認められたことから、これ以降、自動車関連設備事業は大幅に売上げを伸ばしました。

半導体関連設備の生産へ

このころから半導体市場に参入をはじめ、ロードポートウェーハ搬送ロボット、EFEMなどの搬送装置を中心に生産を本格化しました。

事業分野の選択と集中 自動車、FPD、半導体の事業部体制へ

2006年4月から、自動車分野、FPD(フラットパネルディスプレイ)関連分野、そしてロボット技術を応用した半導体分野への事業拡大のため、事業部編成を行いました。 この3つの事業を柱としながら、各分野を横断した技術を応用してお客さまのご要望に高いレベルでお応えしています。

2005年(平成17年)

新社長米田康三、平田社長、会長へ就任

平成17年6月29日、新会長に平田耕也、新社長 に米田康三が就任いたしました。ここから新経営体制がスタートしました。

2006年(平成18年)

株式上場

創業60年、設立55周年のこの年、12月に念願の株式上場(JASDAQ証券取引所(現 東京証券取引所 JASDAQ市場))を果たしました。また新たな歴史が始まりました。

シャープ様よりLCDアワード設備部門賞を受賞

シャープ株式会社のLCD部門では、半期ごとに業績に大きく貢献した6社を大型・モバイル両液晶本部別に材料部門、設備部門、その他部門で選出し、表彰されます。 工場の生産立ち上げの際、計画より2ヶ月前倒しになった納期に対して、品質を保証しながら、あらゆる努力と多くの方々の支援により納期を守った当社の積極的な協力と貢献が評価され、受賞いたしました。

2008年(平成20年)

トヨタ自動車様より技術開発賞を受賞

技術開発賞とは、トヨタ自動車株式会社に対し、年度毎に部品・資材、設備などの分野において技術的な貢献をしたと認められる企業に対して贈られる賞です。 当社の新型減圧リフロー炉において、減圧方式によるはんだづけ品質の向上や、誘導加熱方式による省エネ化・環境への配慮といった点が評価され、受賞いたしました。

2009年(平成21年)

450mmウェーハ対応EFEM開発

半導体業界のウェーハ大口径行化の流れに先行し、次世代製品である450mmウェーハ対応EFEMを開発。セミコン・ジャパン2009、SEMICON Taiwan2010に出展いたしました。

2011年(平成23年)

平田 雄一郎 社長就任

経営体制の若返りを図るため、平成23年4月1日、新社長に平田 雄一郎が就任しました。

新型FOUPオープナおよびウェーハ搬送ロボットを開発

業界最高水準の高性能300㎜対応FOUPオープナを開発し、同時に開発した新型ウェーハ搬送ロボットと併せて半導体製造装置市場に投入しました。

2012年(平成24年)

GM社から「Supplier of the Year 2011」を受賞

米国自動車会社 General Motors Company 社は、世界中の20,000社を超えるサプライヤーの中から、特に同社に多大な貢献をしたと評価した企業を表彰しており、2011年、その一社に当社が選ばれました。パワートレイン組立部門としては、当社が唯一の受賞企業です。

新型水平多関節型(スカラ型)ロボットおよび直交小型ロボットなどを開発

業界トップクラスの高速性能を実現した水平多関節型(スカラ型)ロボットと組合せバリエーション豊富な直交小型ロボットおよび複数他社に対応したコントローラーを開発し、市場に投入しました。

代表取締役会長 平田 耕也 逝去

「たくさんの出会い、世界で仕事ができたことは望外の幸せ」と感謝の言葉を残し、8月7日永眠。満83歳でした。

熊本市初のメガソーラー

5月に太陽光発電事業プロジェクトを開始し、10月から発電スタートしました。

300㎜/450㎜ウェーハ兼用、ウェーハ真空搬送ロボットを開発

高真空に対応でき、高精度・高速動作・高信頼であり、アームバリエーションも豊富なウェーハ搬送ロボットを開発。450㎜ウェーハ対応のFOUPオープナなどと組み合わせてお客さまにご提供いたします。

2013年(平成25年)

GM社から2年連続「Supplier of the Year」を受賞

米国自動車会社 General Motors Companyが、世界中のサプライヤー約18,500社の中から同社に貢献したと評価した企業の一社に当社が選ばれました。2年連続の受賞となり、今回はアセンブリーおよびテスト装置の部門においての受賞です。

2014年(平成26年)

さまざまな分野で活用できる「エコ電動ストッパー」を開発

当社は、さまざまな分野の生産設備を手掛けた実績と経験から、コンベヤシステムに多数使われているストッパーに関して、これまで主流だったエアシリンダー式ではなく、電動式で省エネタイプのエコ電動ストッパーを開発いたしました。

ダイソン社から優良サプライヤーを受賞

ダイソン社(Dyson ltd.)から優良サプライヤーとして表彰されました。当社は、ダイソン社から掃除機のモーター生産設備を多数受注しており、 それらの設備において技術力や納期対応、品質などが高く評価されての受賞です。

第6回ロボット大賞・日本機械工業連合会会長賞を受賞

当社が医療機器メーカーであるサクラファインテックジャパン株式会社から設計・製造を受託している病理標本作製用の「全自動連続薄切装置 ティシュー・テック スマートセクション」が第6回ロボット大賞において、 社会的価値の高い製品であることが評価されて連名にて受賞しました。

2015年(平成27年)

ダイソン社から2年連続の受賞

当社は、 ダイソン社の2015年 サプライヤーミーティングにおいて、 「Recognition award lean(ダイソン社の方針に沿った対応への功労賞)」 を受賞いたしました。 2014年の優良サプライヤーに続き、2年連続の受賞です。

2016年(平成28年)

熊本と共に 本社を東京から熊本へ

世界と仕事をするために、1981年(昭和56年)熊本から東京に本社を移転しました。 近年、当初の目的が達成されたとして、今後の業務の効率化を図るために本社を熊本に戻すことを検討していました。そのような折、4月に熊本地震が発生。郷土のために何かをしたいと第65回の定時株主総会にて熊本への本社移転を決定いたしました。

ダイソン社からPartnership Awardを受賞

当社は、ダイソン社製品の各種モーターの生産および納期、技術力、品質などに当社が貢献したことが高く評価され、 Dyson's supplier day 2016にて、Partnership Awardを受賞いたしました。

2017年(平成29年)

東京証券取引所 第一部へ市場変更

6月15日をもって東京証券取引所 第一部へ市場を変更いたしました。Hirataを育て支えてくださった皆さまに感謝し、今後一層、地域の発展に貢献できる企業として努めてまいります。

2020年(令和2年)

Headquarters Building 完成

2018年に着工した新工場が6月に完成しました。本社機能と工場機能が一体化しており、これは『設計・管理・経営も常に現場と共にあれ』という当社の教えがもととなっています。工場部分の1階(3階まで吹き抜け)に加工エリア、4階には半導体関連の搬送装置などを組み立てるクリーンルームを設置しました。